社会に敷かれたレールから、外れてみることにしました。

皆さんこんにちは!助産師のシオリーヌです。

 

さて、重々しいタイトルに何事かと思われたかもしれませんが、この4月からまた一つ大きな挑戦をすることにいたしました。

 

私シオリーヌ、

 

\ 看護師の正規職員、辞めます! /

 

 

ずっと優等生ロードを歩んできた私

 

思えばこれまでの人生の中で、優等生というレールの上を外れたことはほとんどありませんでした。

 

幼いころから注射や歯医者も嫌がることなく、小学校・中学校では常に成績優秀。

高校ではやや非行に走った時期がありつつも受験生になれば真面目に勉強し、それなりに優秀な大学へ合格。

看護学生時代もまさに「特筆なし」という感じの模範生徒で、助産師・看護師・保健師というトリプル受験も何事もなくクリアしました。

 

自分でも「つまんねーな」と思う、冒険のない人生です。

 

なんか変わったことしたいなー、なんて思いつつもせいぜいちょっと特殊なバイトをしたり習い事をしてみたりするくらいで「模範的なライフプラン」を崩すような選択はしたことがありませんでした。

 

大学卒業後はこれまた助産師の定番にのっとって、総合病院の産婦人科に勤務。

 

そこでの日々ももちろん充実した日々でしたが、社会人3年目となったころ初めて社会のレールに乗った生活に疑問を抱きました。

 

「あれこの仕事、私じゃなくてもよくない?」

病棟で働く看護師や助産師は人手不足と言いつつもいくらでも代わりのいる職業で、特に煩雑な現場ではスタッフそれぞれの個性なんて発揮できないことがほとんど。

 

私の勤務していた病棟もかなり多忙な現場でしたので、日々のルーチンワークをさばくことでもう精一杯。

私らしさ、なんて表現している余裕はありませんでした。

 

そんな中で少しずつ「私にしかできない仕事がしたい」という思いが募るようになりました。

 

そうして始めたのが、現在のような性教育に関する発信活動です。

 

▼私が性教育を一生の仕事に選んだ理由は、こちらで詳しく

「私が、性の話をする理由」

 

こうして少しずつ自分らしさを活かせるような仕事もし始めたわけですが、それでも根っからの安定志向な私は「病院の正規職員」という安心を手放さずにいました。

 

だって、怖いじゃない。

 

毎月、安定していただけるお給料。

体調を崩して休んでも、病棟の業務が滞ることはない。

社会保険や厚生年金などの手厚い社会保障。

 

そして何より大きな組織に所属しているという、安心感。

 

それらを手放す勇気は、クソ真面目優等生の私にはありませんでした。

 

 

今、レールから外れる理由

 

ではどうして、今その正規職員という安定を手放すことにしたのか。

 

それは「私の望む生き方」の実現に、本気になりたいと感じたからです。

正規職員として雇用されている環境は、たしかに安定と安心があります。

 

それでも看護師6年目になろうとする今、その環境に慣れてくればくるほどに仕事へのワクワク感が薄らいできていることを感じます。

 

もちろん患者さんとの出会いや関わりから得るものは日々たくさんあります。

ですが、自分が進化していかないのです。

 

看護師としての私はもうある程度出来上がっていて、そんな見慣れた自分とこれから先の長い人生ずっと働いていくんだと思ったとき

ものすごく大きな、物足りなさを感じました。

 

私は、まだまだ進化したいのです。

自分の知らない自分を、まだまだ開拓したいのです。

 

それから看護職として勤務を始めて丸5年が経ち「この働き方を一生するのは無理だ」と心底痛感したことも大きな要因です。

 

まず単純に、夜勤がつらい。

 

今はまだ20代ということもあり夜勤で乱れる生活リズムにもなんとか適応できていますが、夜通し仕事をして朝9時に帰路につく生活を30代、40代と続けていく自信がありません。

 

だってなんか夜勤明けとか尋常じゃないくらい汗かいたりして「ホルモンバランスぐっちゃぐちゃですね!やっぱり人間は夜に寝る生き物!」と、実感するんです。

 

それから休みたいときに休めないのは、やっぱりつらい。

 

今はまだ子供もいない身なので自由がききますが、今後親になったりして自分の都合だけでは身動きできなくなった時のことを考えると

急に休みが必要になったタイミングで心置きなく「休もう!」と決断できないことはなかなかにしんどいと感じます。

 

こんなことを書くと「そんなの全国の看護師はみんな我慢して働いているんだ」と言われてしまいそうですが(実際に本当にそうだと思います)、それでもやっぱり自分には無理だと感じてしまったのです。

 

そしてこれが一番大事なんですが、私助産師や看護師の仕事が大好きなんです。

本当に一生の仕事にしていきたいと願うくらい、好きなんです。

 

だからこそ、先に述べたような理由で助産師や看護師の仕事を嫌になったり、やむを得ずやめなきゃいけないなんてことには絶対にしたくない。

 

そう思った時に、今本気で自分の働き方と向き合う必要があると感じました。

 

病院に雇用されて安心しているだけでなく、自分で仕事を生めるようになりたい。

自分だからできること、自分にしかできない強みを見つけたい。

 

そんな思いから「正規職員」という安全カードを手放すことに決めました。

 

 

正直、めちゃくちゃに怖い

 

とはいえ筋金入りのクソ真面目優等生なもので、今めちゃくちゃにびびっています。

 

病棟看護師自体を辞めるわけでもないのに(非常勤のパートになります)、それなのに、とんでもなくびびってます。

 

それくらい、社会のレールに乗った人生は安心感に満ちていたのですね。

フリーランスの友人たちを、今心から尊敬します。

 

でもやると決めたので、私はやります。

 

そしてここまで読んでくださった皆さんに、お願いがあります。

 

どうか私に、

\ 仕事をください!!!(笑) /

 

性教育の講演会やイベント登壇、取材や記事執筆、はたまた医療者向けイベントの司会者などなどご依頼心よりお待ち申し上げております。

 

誠心誠意、真面目に仕事させていただきます・・・!

 

何かご協力させていただけることがありましたら、ぜひお気軽にご連絡ください。

 

 

「好きなことで、生きていく」

 

「好きなことで、生きていく」

使い古されたような言葉だけれど、今の私の目標はこれに尽きる。

 

私は、私のなりたい自分なることで生きていく。

 

もしそれが出来たら、ずっとあまり好きになれずにいた自分を、好きになることができそうな気がするです。

 

自分のことが、もう少し好きになれたら。

 

私は私の人生を、もっと大切に生きることができるようになると思います。

 

今年、私は本気で自分の人生を変え始めます。

心から自分の人生を愛し、満喫し尽くすために。

 

まずはその、第一歩。

 

 

▼シオリーヌのオンラインサロン「yottoko labo」会員募集中

「私が、性の話をする理由」

こんにちは。おしゃべり助産師シオリーヌこと、大貫詩織です。

助産師として性教育など様々な活動に取り組んでいる私ですが、時々

「どうして助産師になったんですか?」「なんで性教育の活動を始めたんですか?」

という質問をいただくことがあります。

 

そこで今回は、私が助産師をめざした理由。

そして性教育をすることにした理由をまとめてみました。

 

長くなりますが、お付き合いください。

 

とにかく自信がなかった思春期

 

今でこそ人前で話をさせていただく機会も多いですが、幼い頃は人付き合いの苦手な子どもでした。

 

小学校では女の子特有のコミュニティに馴染めず、中学では部活にもクラスにも居場所を上手く作れず、ちょっとしたいじめを受けていた時期もあり常に人の顔色をうかがっていました。

高校生になってからはなんとか友達を作らないとマズイと焦り、人見知りを無理やり隠して明るくフレンドリーなキャラになりきっているうちに、気がついたら人見知りを克服していました。

なんちゃら委員とかナントカ代表とか人前に出る役目も得意になって、人から褒めてもらえることも増えました。

 

それでもなんとなく「生きていきにくい感覚」は、私の中にずっとありました。

 

それはきっと、人からの評価に怯えている自分がいつもいたから。

 

そして 私みたいなヤツ と 仲良くしてくれる 友達には、常に何か恩返しをしてないとならないような、そうでないと友達でいてくれなくなってしまうような、不安がいつも付きまとっていました。

 

今思えばその生きにくさの正体は、自己肯定感の低さだったのだろうと思います。

 

自己肯定感は、生きる活力です。

 

「わたしは、わたしのままで価値がある」

 

そう思えることは大きな挫折を味わったようなときに、心がポキッと折れてしまうのを踏みとどまらせてくれます。

ポキっと折れそうな時、何とかしなってしなって、それをバネにして跳ね返す力に変えるのが自己肯定感ってやつなのです。

 

そしてその自己肯定感を育むことに大きく影響を与えるのは、やっぱり家族なのでしょう。

高校二年生の時、父親から「お前みたいな娘がいて恥ずかしい」と言われたことがあります。

 

クソがつくほど真面目な私は、それを聞いて17年間育ててきた親がそういうのだから私はとんでもなく駄目な奴なのだ、と真剣に受け止めてしまって。

だから私のような駄目な奴は人一倍努力しないと、居場所も価値も得られないのだと焦りました。

 

 

そんな風に凝り固まった思考で人の評価ばかりを気にする毎日は、当たり前だけど苦しかった。

 

ある程度の年齢になっても、自分が人に愛されるにはその人のためになる何かしらの条件が必要なんだ、という偏った考えを手放すことはできませんでした。

 

人が面倒がる委員や係は進んでやる。グループワークの発表なんかも自ら名乗り出てやる。

そういうメリットがあって初めて、私はだれかに必要としてもらえるのだと確信していました。

 

そんな私の考え方が少しずつ変わっていく、初めのきっかけをくれたのはある産婦人科医の書いた一冊の本でした。

 

高校三年生でその本と出会うまで、私は文系の普通の大学に進む気マンマンでした。

教師になりたいと思っていたけれど親に反対されて諦めざるをえず、やけくそで「もう大学ならなんでもいい」状態。

 

でもこの本をきっかけに赤ちゃんと家族に関わる仕事への興味がわき、色々と職業を調べているうちに助産師という仕事を目指すことに決めました。

きっと自分なりに悩んでいた「家族とは何か」という問いの、答えを求めていたのだと思います。

 

助産師になるには、理系の看護学科へ進む必要があります。

 

それまで文系の勉強しかしていなかった私が、高三の夏にいきなり理系に進むと言い始めた時、

確実に反対すると思っていた担任の先生が

「助産師、絶対向いていると思う!」

と満面の笑みで言ってくれたことがすごく嬉しかったのをよく覚えています。

 

少しずつ覚えた「素直でいること」

 

センター試験で大失敗しつつも、なんとか合格した第一志望の看護大学。

勉強は難しかったけど、助産師という職業に着々と近づいている実感があったから楽しかった。

 

ただ、大学という環境は私には酷でした。

大学にはクラスがなく、また新入生には委員長とか係とかの役職がないから。

 

これまで役割を持つ事で自分の価値を得てきた私は、大学でどう居場所を作ればいいのか、どうやって友達を作ればいいのか、全く見当もつかずに途方に暮れてしまいました。

そしてにっちもさっちも行かなくなって、とうとうある日、大学生にもなって学校の先生に「友達の作り方が分かりません」といって泣きついてしまいました。

 

というか、実際に泣いた。引くほど泣いた。

 

あの時何時間も私の話に付き合ってくれたあの先生には、一生頭が上がりません。

 

家族仲が悪く家庭に居場所がないこと、自信がなく人付き合いがすごく苦手なこと、それがとても苦しくてどう解決したらいいか分からないこと、そんなことをひたすらに話し続けたように思います。

 

ところで私には、辛いことを笑って話すクセがありました。

 

当時、友人に愚痴や悩みを話すときはいつも笑いながら落ち込んでなどいないように話していて、それを聞いた友人が「それやばいね!」と笑ってくれると、安心しました。

 

悩みは聞いて欲しいけど、私なんかの話で友人を困らせたくない。暗い雰囲気の自分を見せたくない。みたいな気持ちだったと思います。

 

だからこの時大学の先生に相談をした時も、私は笑って話していました。

でも先生の反応は、これまで経験した友人の反応とは大きく違った。

 

先生は、すごーーく怒ったのです。

生徒を注意するときの、何倍も険しい表情で。

 

「どうして子供のあなたがそんなに辛い思いをしているの」

 

あまりにも先生が怒るから、

「なんで先生がそんなに怒るんですか?」と尋ねると、

「あなたが笑ってるから、代わりに怒ってるんだ」と先生は言いました。

 

「辛い時は辛い顔して話していいんだよ」とも。

 

私のために怒ってくれる人がいる。そう実感した途端、なんだかとても力が抜けて、わんわん泣いた記憶があります。

 

家族にも学校にも居場所がない、と感じると子どもは途端に孤独になる。

 

その時寄り添ってくれる大人がいることは、私たちが想像する以上に子供の救いになると思います。

先生の前で、うわーんと泣いたその日から、私は少しずつ素直になる努力を始めました。

それは先生が「友達になれなくて困ってるなら、友達になりたいと思っている子にその気持ちを正直に伝えてみなさい」と教えてくれたから。

 

いざ実践してみると、20歳そこそこの大人が「あなたと友達になりたいけどどうしたらわからない・・・」とか言ってくるものだから

周囲の子たちは「いや、わざわざ何なの(笑)」的な反応だったけど

 

でもそれで否定的な態度をとられたことはなくて、みんな笑いながらそれを受け入れてくれました。

 

サークルの友達や看護学科の友達、みんなに少しずつ、素直に接することを心がけていたら、なんだかんだ自然に友達が増えていきました。

 

友達になる。とてつもなく難しいことだと思ったら、すごく単純だった。

私がそれを勝手に、難解な問題にしていたようでした。

 

思い返せば、勝手に孤独だーと悩んでいた中学、高校時代にも私がちゃんと受け取れていなかっただけで、私を好きで、友達でいてくれる子はちゃんと居ました。

 

私はちゃんと、大切にしてもらっていた。

そのことに、この時にやっと気がついたのです。

 

私は傷付くことを恐れて勝手に殻に篭って、一人ぼっちだと思うことで自分を守っていたのかもしれません。

 

それからそうやって少しずつ友達が増えていく中で、一つ大切なことに気がつきました。

 

それは私が今まで、人からもらう褒め言葉を全く素直に受け取っていなかったということ。

 

人に褒めてもらっても「いやいや、そんなお気遣いいただいてすみません」と言いながら否定することが多く、それは自分自身も一緒に否定し、褒めてくれたその人も否定していることだと感じたのです。

 

そう思ったら、今まで優しくしてくれた全ての人になんだかすごく申し訳なくなりました。

 

だからそれからは、褒めてもらったら素直に喜ぶことにしました。

そしたら私も相手も嬉しくて、幸せだなーと思って。

 

でも20年間築いた習慣を変えるというのは、なかなか難しくてその気難しさを手放すまでにはとても長い時間が必要で、その過程にも色々な出来事がありました。

 

認められたくて溺れた、過激なダイエット

 

大学生の頃、たくさんの友達や先生のおかげで自己肯定感というやつは少しずつ育っていったのだけど、

それでも長年自分の中で築かれてきてしまった「でも私は結局最後は1人になる、愛される価値のある人ではない」的な呪いはとてもしぶとかった。

 

あるいは、そうやって予防線を張っておくことで、いざ何かが起きた時のショックを和らげようとしていたのかもしれません。

 

「ほら、だから嫌われた。最初から期待してなかったもん。ショックじゃない」

 

そう納得するために、保険をかけていたのでしょう。

 

大学時代の大半を共に過ごした当時の恋人は、私にすごく、女性らしさ、を求める人でした。

フリルの付いたブラウスや、花柄のスカートを着てスタイル良く、愛想も良く、料理も上手。そんな女性が理想だったようです。

 

今でこそ「そんな時代遅れでジェンダー差別まみれの思想をうんぬんかんぬん・・・」と、意見できる私になったけれど、当時はとにかく嫌われたくなくて努力をしまくりました。

 

そんなある日、少し痩せたら彼からすごく褒められた。

それが嬉しくて、私はどんどん食べなくなりました。

丸一日の食事が500キロカロリーに満たない日なんてざら。

お米、揚げ物、肉、魚、脂肪になりそうなものがすごく怖かった。

お腹がいっぱいの状態で眠るのが怖くて、夕方以降は食事を摂らずバイトや学校の後に必死で運動。

 

そうしたら、半年ちょっとで15キロ痩せました。

 

彼からは、すごく褒められました。

友達からは心配もされたけど、耳に入らなかった。褒め言葉だけが心に残って、ますますダイエットのやる気を高めていたのです。

 

でもたまに我慢の限界がきて、いわゆる過食というものもしました。

それで、全部嘔吐する。

 

そんな日々の繰り返しの中で、ストレスのコントロールにはアルコールを使っていました。

酔っ払って、ぼんやりすることで、色んな日常から目を背けていたのでしょう。

 

当時は家族のこととかも色々あったから、そんなごちゃごちゃも全部。

 

そんな日常から目が覚めたのは看護学科の厳しい実習の最中、さすがに炭水化物を摂らないと体力が持たなくて、それでも茶碗半分くらいのおかゆを食べるようになった時。

 

少し食べたら簡単に体重が増えてきて、そしたら恋人から「痩せていた時は可愛かったのにね」と言われました。

 

あ、このままじゃ身体がおかしくなる。
その時に初めて思いました。

 

そこから一進一退しつつも少しずつ克服して、今ではあるがままの私を認めてくれる皆様のおかげで体重は肥満一歩手前まで増加し、少し痩せた方がいいくらい。

 

着られる服も限られるし、座ればお腹に肉が乗るけど、それでもご飯が美味しい今が幸せ。適量のお酒を楽しめる今が幸せ。

 

拒食、過食、自傷行為に様々な依存症。

 

思春期の子供たちがとるそれらの行動は、日常生活の何らかのしんどさから自分を守る方法であることが多い。

「問題行動をとる困った子供」ではなく、その子自身が「困っている子供」

 

小さなSOSから、子供を救いあげられる社会にしたい。

 

経験を、力に

 

思春期のころから、人と同じように友達付き合いや先輩後輩付き合いが出来ないのは自分の努力が足りないせいだと、ずっと思ってきました。

 

ですが今になって客観的に振り返ると、家庭環境や学校での上手くいかなさが、自己肯定感の低さや人づきあいへの恐怖心に繋がっていたのではないかと感じます。

 

今の私は、その性質をだいぶ克服しました。

 

好きな物を好きと言い、好きなことをする。
友達や家族に甘え、つらい時は泣く。

 

そんな事が少しずつ、出来るようになりました。

 

それは全て、私の周りで私を肯定し、励ましてくれた人たちのおかげです。

私は自分が困難に立ち向かってきたこの経験を、少しでもプラスに変えていきたい。

ひどく生きづらかったあの頃があったから、今困っている子どもたちに出来る事があると思いたい。

 

もしかしたらそうして子どもたちに返して行く事で、子どもでいていい時期に子どもらしくいられなかった自分を癒そうとしているのかもしれません。

 

きっとこれが、私が性の話をする理由。

 

これからも頑張ります。
見守って、応援して下さると嬉しいです。

 

自分の外見が嫌いすぎて苦しいあなたへ。摂食障害の過去から学んだ、そのままの自分を認める方法

こんにちは。おしゃべり助産師シオリーヌこと、大貫詩織です。

 

突然ですが、私は少し前まで「食べることがとても苦手」でした。

 

食事自体が嫌いなわけではありません(むしろめちゃくちゃ好き)

ただ太ることが怖くて、ダイエットにこだわりすぎた結果「健康的に食べる」ということが極端に苦手になってしまったのです。

 

今回は私がこれまで経験したダイエット(摂食障害)の歴史と、それを克服しつつある今外見コンプレックスについて思うことをまとめてみました。

(当時の体重や写真も赤裸々に公開していきます)

 

自分の見た目を好きになれなくて苦しむ方へ、少しでも役立つと嬉しいです。

 

 

私のダイエット史

 

●初めてのダイエット

私が初めてダイエットをしたのは中学2年生の時。

やや肥満体型だったその頃好きになったのが色白で細身の男の子で、健康診断のとき自分の方が体重が重いことを知ってショックを受けダイエットを決意しました。

 

当時の体重 54kg (身長 152cm)

 

夕飯のご飯を無くして、代わりに毎日トマトを1個食べるようになりました。

母に頼んで昼食のお弁当のご飯も、減らしてもらっていた記憶があります。

 

間食もやめて、どうしても甘い物が食べたい時は0カロリーのゼリーをばくばく食べて誤魔化していた。

 

そしたら半年で体重が 44kg (-10kg) に。

 

そうしたらオシャレが楽しくなって、化粧を始めたりメガネをコンタクトに変えたり、スカートを2段階くらい短くするようになりました。

 

すると今まで見向きもされなかった学年の可愛い系の女子グループ(いわゆるカースト上位)から「最近可愛くなったよね〜!」と言われるようになってすごく嬉しかった。

 

これが初めの成功体験

 

 

●外見を褒められたくて仕方なかった大学生

その後高校大学と進学して、少しずつ少しずつリバウンド。

 

大学ではお酒を飲み始めたりした事もあって、ついにBMI(肥満度を表す指数、身長と体重で算出。18以下で痩せ、19〜24が標準、25以上が肥満とされる)でも、24くらいになった。

 

大学2年生のころ、社会人の彼氏ができました。

彼の外見が比較的イケメンだったことから、釣り合う彼女になろうと思いダイエットを決意。

 

これが人生二度目のダイエットでした。

 

当時の体重 62kg (身長 161cm)

 

一人暮らしだったため誰にも心配かけずに食事制限はし放題

そこでまず、主食を食べることをやめました。

 

体重は面白いほどするする減り、それが楽しくて仕方なかった。

 

だんだんカロリーの高いものを摂ることが嫌になっていき、最終的な一日の食事は

 

朝: おかゆ(ごはん茶碗半分)、具なし味噌汁

昼: おかゆ(ごはん茶碗半分)、学食の小鉢(ひじきとか)

夜: キャベツ千切り

 

といった感じに。

 

摂取する栄養はどんどん減る一方で、運動量はどんどん増えて、こんなカロリー低いものしか食べてないのに毎日学校やバイトの後に2時間かけて筋トレと有酸素運動を繰り返していました。

 

そうして体重がどんどん減る喜びと、当時の彼氏や友人に「痩せたら可愛くなった」とたくさん褒められたこともあって痩せることにのめり込んでいった。

 

だんだんと食べることへの抵抗感が強まっていって、お腹が空いてコンビニに行ってもぐるぐる悩んだ末にキャベツの千切りだけ買って帰る、みたいな毎日。

自分に「食べてもいい」と許可を出せるものがなくなってしまっていたんです。

 

この時の状態はきっと、拒食というやつだったと思います。

(ダイエットに関して病院にかかってはおらずきちんと診断を受けたわけではありませんので、ご承知おきください)

 

でもそんな暮らしを毎日していると、ある時どうしても食べたくて食べたくてしょうがない衝動に駆られます。

 

そういう時の食欲ってもう自分では制御不能で、どうにもできないまま一人暮らしの狭い部屋で一人爆食いをしていました。いわゆる過食というやつです。

 

普段は禁止してる炭水化物や油物ばかり選んで、成人女性の食事量の3倍にも5倍にもなりそうな量の食事を、どんなに苦しくても最後まで食べる。

そしてこれらを30分足らずでお腹につめ込んだら、その後トイレで指突っ込んで全部吐きました

 

自分で吐く(自己誘発嘔吐といいます)ことをいつから始めたのかはハッキリと覚えていませんが、太りたくないけど食べたいという一心で気がついたら始めていました。

 

初めは一人で時々してた食べては吐くという行為はだんだん日常化してきて、徐々に友達との飲み会中もトイレに立って隠れて吐くようになった。

 

(この自己誘発嘔吐は苦しい上に日常化するとやめるのが本当に大変なので、まじでおすすめしません)

そうこうしてたら半年ちょいで 体重 47kg (-15kg) くらいになったのだけど、だんだん体がつらくなってきたのかどうにも体重が減らなくなった。

 

加えて看護の厳しい実習が始まって食べないと身体も持たず、少し食事を摂るようになったら代謝も落ちているから、みるみる太ってきて絶望

当時の恋人にも「痩せてた時は可愛かったのにね」なんて言われて追い討ち。

 

そんな経緯で結局またリバウンドし、体重 55kg くらいになって大学卒業。

でも食べて吐くという行為は辞められず、それから太るのが怖いという思いも消えず、社会人に。

 

●習慣化した、不健康なダイエット

三度目のダイエットは実はすごく最近で、25歳のとき

 

転職した職場で新しく貰ったユニフォームが自分だけサイズがひと回り大きくて、それがすごく恥ずかしくてダイエットを決意。

この時 体重 64kg (リバウンド毎に体重が少しずつ増えるのは下手なダイエッターあるある)

 

 

痩せるのは得意なので、半年で 51kg (-13kg) になった。

 

今回はもうリバウンドしないぞと決意してのダイエットだったけど、やっぱり痩せ始めたら食べるのが怖くなってどんどん摂取カロリーが減り、秋頃には一日の総摂取カロリーが500kcalくらいの日もしばしば。

 

大学時代からじわじわ続いていた食べて吐く行為もまた頻度が増え、週3くらいで食べ吐きし始めた。

毎朝体重を測って前日から200gでも増えていたらもうその日はブルーで、体重に気分を左右される毎日

 

もう限界だ!と思って、本気でこの生活を改めることを決意しました。

 

まずは体重計に毎日乗ることをやめました

太ったり痩せたりは体感でもわかるから、数グラムの変化にとらわれないようにしようと思った。

 

そして摂食障害を克服した人の本やブログをたくさん読みました。

長年の習慣を克服するのは簡単じゃありません。先人の知恵や励ましの言葉を、何度も胸に刻みました。

 

また、自分の苦しさを人に話すようにしました。

食べて吐いてることや苦しいダイエットをしていることは、それまでずっと隠していました。

変な目で見られるのも嫌だし、食事に誘ってもらえなくなったりして友人との付き合いに影響すると思ったから。

 

それまでは普通に健康的に暮らしてても痩せた体型を維持出来てる人ですよーって顔をしてたくて、どんなに苦しくても黙って痩せようとしていましたが

三度目にしてやっと私は普通にモデル体型で居られる人ではないことがよく分かりました。

そういう身体なんですよ。仕方ない。

 

太るのはすごく怖いし、こんな事情を人に話すのも恥ずかしい限りです。

それでも私は、食事を心から楽しめる人になりたい。

 

食べ物を太るもの、太らないもので選ぶのをやめたい。

 

自分の価値を、体重ではかるのをやめたい。

 

そう思ったので、やっと人にこの話をするようになりました。

きっと今はまわりに、私の価値を外見以外の面で沢山認めてくれる人がいてくれるお陰です。

 

 

なぜこんなにダイエットにこだわったのか

ではどうしてこんなにも私がダイエットにのめり込んでしまったのか、その理由を自分なりに考えてみようと思います。

 

まず第一に、日本社会では特に「美人=痩せている」という風潮が根付いています。

 

ファッション雑誌には「痩せよう」の文字が溢れていて、ダイエットが続かない女性は「女子力がない」と評価をされる。

テレビや雑誌に登場するのは、おそらく健康体重を大きく下回るであろうスタイルの良いモデルさん達ばかり。

 

そんな風潮、環境の影響を私もきっと無意識に受けているだろうと感じます。

世間が決めた「美の基準」というのは根強い。

 

 

そして二つ目に、これまでの人生で「痩せたら褒められる」という経験が多かったということ。

 

中学生のころちょっとしたイジメにあっていた時でも、私が大幅に痩せたときにはいわゆるカースト上位の女子たちが「どうやって痩せたの〜?」と話しかけてくれました。

 

また中3で初めて恋人が出来た時も「痩せて可愛くなったから」という理由で告白をされました。

 

高校時代のある先輩には会うたびに「あれ、太った?w」と聞かれ、痩せると褒められました。

 

大学生で付き合った彼氏は「俺これくらい細い子が好き」とモデルを指差して言っていたので、同じスタイルを目指して痩せたらすごく褒められました。

反対に少しリバウンドしたら「痩せてた時は可愛かったのにね」と言われました。

 

こうした経験の積み重ねから「痩せていない状態の自分=醜い、痩せている状態の自分=人に褒められる価値がある」という価値観が育ったように感じます。

 

 

そして最も重要な理由が、自分に自信がなかったということ。

 

上に述べたようなセリフって、きっと言われても気にならない人は気にならないと思います。

それは自分をきちんと自分で評価できる人

 

こんな言い方をすると批判を招きそうですが、例えば海外のビーチの映像とかを見ると、たまに居るじゃないですか。

 

よくその体型でビキニ着れるよな〜〜って人。

 

でもそういう人って恥ずかしそうにしてるかって言ったらそんなことはなくて、むしろすごく堂々と笑顔で過ごしていたりする。

 

きっと外見なんかで評価しきれない自分の魅力を、自分がちゃんと知っているんですよね。

 

その感覚が羨ましいなーってずっと思ってきました。

 

私自身、周囲の人に関しては外見だけで評価することなんてまず無くて、どんな外見であったって素敵な人は素敵だと感じます。

 

でも自分に関してだけは、ずーっとずーっと自信がなかったから、目に見えて人から評価される「外見」というところに頼っていたのだと思います。

 

でも、もうそれを手放そうと思っています。

 

昔は自分の性格も含めてすべてに自信が無かったけど、今はたくさんの応援してくれる人たちのおかげで、自分の伝えることや行動することに少し自信を持つことができるようになってきました。

 

だからきっと、私が周りの人にたいしてそうであるように、私の見た目がどうであろうと認めてくれる人は居るんじゃないかなって思えるようになってきたんです。

 

そんなに無理して体重減らすことばかり考えなくても、もう大丈夫なんじゃないかって。

 

長年付き合ってきた価値観だから完全にお別れするにはまだ時間がかかりそうだけど、このコンプレックスを克服できたら自分の心がめちゃくちゃ身軽になるのがすごく想像できます。

中身コンプレックスが克服されてきた今だからこそ、見た目コンプレックスと向き合う時がきたのでしょう。

 

外見も中身も全部ひっくるめて、自分をまるっと好きになることができたら、私の人生はすーっと道がひらけるような気がする。

 

そうして自分が自分らしく、気楽に生きていける道をひらいていきたいです。

 

 

自分の外見が嫌いすぎて苦しいあなたへ

どこに行ってもついてくる自分の外見が嫌い、という感覚は本当にしんどいものです。

 

街中で窓に映る自分を見ては落ち込み、写真にうつった自分を見ては欠点ばかりが目につき、電車で見かける細身な美人と見比べては自己嫌悪に陥る。

 

「人からどう見られているか」

 

そればかりが気になって、着たい服も着られず、食べたいものも食べられず、我慢と忍耐で毎日を過ごす。

 

そんな日々を送っているあなたに、伝えたいことがあります。

 

実際のところあなたの体重が何キロであろうが、服のサイズが何号だろうが、目が一重だろうが、ズボンに肉が乗ってようが、それは生きるうえではさほど重要なことではありません。

 

一番大切なのは、あなたが笑顔で安心して過ごせること。

あなたが今日を笑って、生きているということです。

 

外見を磨くことは、目に見えた成果があるし達成感もある。自分に自信をつける方法としては手っ取り早いのかもしれない。

 

ただ、それであなたの健康を損なってしまっては意味がない。

 

だってあなたは人から愛されたくて外見を磨いてきたはずなのに、健康で生きて毎日を送る余裕もなくては、誰かの愛情を受け取ることもできなくなってしまう。

 

そんな悲しい思いは、してほしくないのです。

 

だからどうか、そのままの自分を愛してあげてください。

 

と、いきなり言われたって難しいだろうから、まず初めに自分に向けられた愛情に気がついてください。

 

どんな小さな愛情でも、小さな優しさや思いやりでもいい。そういうものの一つ一つを数えてみてください。

 

これまで見えなかった自分に向けられた愛情を、感じとってみてください。

 

そして誰かに大切にされる価値のある自分を、どうか自分自身でも少しずつ大切にしてあげてください

そういった積み重ねが、きっとあなたの自信をはぐくむ手助けになるはずです。

 

常に一緒にいる自分自身が、自分を否定し続けてくるというのは本当につらいものです。

 

そんな中これまで生きてきた自分に、まずは合格点をあげませんか。

一生使う心と体。どうか自分をいたわって、大切にしてあげてほしいと感じます。

 

私自身もまだまだ未熟で、外見コンプレックスを克服しきったわけではありません。

 

だから、一緒に頑張りましょう。

これを乗り越えた先にはきっと、味わったことのないほど穏やかで温かな毎日があるはず。

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

私の経験がたった一人でも、だれかのお役に立てば嬉しいです。

 

 

シオリーヌの生い立ち全公開!詳細プロフィール

 

皆さんこんにちは。おしゃべり助産師シオリーヌこと、大貫詩織です。

 

 

さて今回はこのサイトを運営する私シオリーヌの人となりを、包み隠さずお話してみようと思います

 

生い立ちから黒歴史満載の過去までどどっと公開していきますので、この記事を読み終わるころには私がどんな人間なのかよ~くご理解いただけることでしょう。

 

さほど有益な情報はないので、私の人となりをぜひ知りたい!という奇特な方は読み進めて頂けたらと思います。

 

 

シオリーヌってどんな人

基本的にエネルギッシュ元気人間です。でも根はクソ真面目で、たぶん頑固。

歌うことと笑うことが好きです。

 

答えのない考え事も大好きで、人とそんな話を延々としながらお酒を飲む時間が至福のとき。

 

あと何と言っても食べることが大好き。

好きな言葉は「大盛り無料」「おかわり自由」

 

実は摂食障害だった過去がありますが、今は健康的なご飯を楽しみつつ外見以外の基準で自分を認められるようになろうと努力している最中です。

 

▼摂食障害の話はこちらで

自分の外見が嫌いすぎて苦しいあなたへ。摂食障害の過去から学んだ、そのままの自分を認める方法

 

私は今性教育など子どもたちを支援する仕事をしていますが、私自身も家族が不仲だったことやいじめ体験があったことから、生きづらさを抱えた若者でした。

 

“自分の居場所はどこにもない”

“ありのままの自分は愛される価値がない”

 

そんな風にいつも考えて生きていました。

 

でも有難いことに沢山の良い大人や仲間と出会って、支えてもらい、見守ってもらい、少しずつその偏った考え方を消化することが出来ました。

 

今は毎日が楽しくて楽しくて、仕方ないです。

 

そんな自分の体験が、今まさに苦しさを感じている子どもたちの役に立つのではないか。

同じような辛さを抱えて生きる子どもたちの心を、少しでも軽くする手助けがしたい。

 

そんな思いから、私は性教育という方法で子どもたちを応援することにしたのです。

▼性教育をする助産師になった理由もあらためて記事にします

 

 

シオリーヌの生い立ち

ここからはそんな私がどんな風にして出来上がってきたのか、生い立ちを紹介します

 

 

●THE優等生だった幼少期

神奈川県横浜市の小さな産院で誕生。母曰く、あまり手のかからない子だったそうです。

幼稚園生の頃からピアノを習い始め、この頃から音楽好きに。

 

運動オンチなせいか室内遊びが好きで、特に工作好きな子どもでした。わくわくさんは当時の私のアイドル

 

小学生の頃から真面目な優等生で、学級委員なんかにすすんで立候補するタイプ。

(音楽クラブってやつに入っていた)

 

宿題もちゃんとするし、いたずらなんかはしないし、徹底的に優等生でした。

学校で先生に怒られる、という経験は下手すると一度もしたことがないかもしれません。

 

 

●女子グループに苦戦した中学生

中学では吹奏楽部に所属。

音楽は大好きなので部活自体はすごく楽しかったですが、思春期特有の女子グループのねちねちした雰囲気に馴染めず完全に滅入っていました。

 

クラスでもやっぱり典型的な優等生、という感じで勉強だけが取り柄。

クラスメイトからの呼び名はもちろん「大貫さん」。定期テストの直前だけ人気者でした(私のノートが)

 

中学3年のクラスでは女子全員から無視をされるという経験をしました。

登校したら上履きに『死ね死ね死ね死ね』と書かれた手紙が入ってたり、よくある嫌がらせもあり学校は結構しんどかった。

 

でも吹奏楽が好きだったこと、他のクラスや塾に信頼できる友達がいたこと、どうしても行きたい高校があったこと、最後は意地もあって、中学は皆勤賞で卒業しました。(このへんが頑固)

(心の支えだった塾の友人たち)

 

 

●笑いに没頭した高校生

文化祭を見て以来憧れていた、第一志望の高校へ入学。

(バンドがやりたくて選んだ高校だった)

 

この学校は生徒の個性をとても大事にしてくれる校風で、生徒も面白い人ばっかりだったので、友人もできとても楽しく過ごすことができました。

 

ただ高校時代は家庭内のイザコザがピークで少々やさぐれた思春期でした。

学校はさぼり放題。70近くあった偏差値は40台に落ち、優等生だったのは過去の栄光と化しました。

 

しかしそんな私を救ってくれたが、お笑いの世界でした。

お腹を抱えて笑っている間は、色んな辛いことを忘れられて本当に楽しかった。

 

気がつけば学校を休んで月15本もライブを観に行くお笑いオタクになっていました。

 

そのうち自分もコンビを組んで、漫才を始めました

(絶妙にダサいコンビ名ネクタイは手作り)

 

相方は今もトークユニット一軍の集いを一緒にやっている、星乃しほです。

 

ハイスクールマンザイという高校生のM-1のような大会に出たり、学校でも文化祭や卒業式など色んな場面で舞台に立たせてもらいました。

こうして昔から人前で芸を披露する経験があったことは、現在の講演活動にとても役立っています。

 

いろいろあって高校3年になって助産師を目指すことに決め、やっとまた勉強をするようになりました。

▼なんで助産師を目指したのかという話は、また後日

 

 

●摂食障害と家族関係に悩んだ大学生

大学に進学し、看護学科の助産師コースへ。

高校卒業と同時に両親は離婚。大学入学から少しして一人暮らしになりました。

 

勉強は将来の仕事に直結している感じがして楽しかったし、やりたくて選んだことだったからモチベーションも高かった。

ただハードな授業や実習、それに上手くいかない恋愛や家族の病気のケアなども重なり、心には余裕のない学生生活でした

 

(音楽をやっている時は、本当に楽しい時間だった)

 

当時交際していたパートナーがきっかけで摂食障害の状態になり、心身ともに健康ではなかったと今ふり返ると感じます。

 

また当時体調をくずした家族のケアを私一人で担っていたことも10代の私には荷が重く、そんな風に感じてしまう自分に罪悪感を感じたりもして、家族のむずかしさを痛感しました。

ただそうして患者家族の気持ちを知れたことは、今現在のナースとしての仕事で大いに生かされているので大切な経験だったと感じています。

 

アルバイトでは塾講師を4年間。

ここで学んだ教えることの楽しさが、今の性教育の活動につながっています。

 

 

●そして大人の今

大学卒業と同時に助産師、看護師、保健師の3つの資格を取得。

新卒で総合病院の産婦人科病棟に就職しました。

(手に持っているのは、毛糸のおっぱいです)

 

病棟での勤務はやりがいもありましたが、ただただ目の前の仕事をこなすような毎日。

勤務して3年目になったとき、病棟の一スタッフとして働くだけでなく自分にしかできない仕事をしたいと感じるようになりました。

 

助産師としてのスキル、お笑いで培った人前で話すのが好きという気持ち。

そして塾講師の経験から知った子どもと話すのが好き、教えるのが好きという感覚。

 

そこから自然と性教育に興味を持ちました。

 

そのタイミングで、縁あって助産師会の性教育委員に加入し性教育の講師デビュー。

 

また根拠のある専門知識をきちんと持った講師になろうと、思春期保健相談士という資格も取得しました。

 

そうやって勉強を進めるうちに、講演の時だけでなくもっと日常から困難を抱える子どもたちのサポートをしたいという思いが強くなり、丸3年勤めた産婦人科病棟を退職

助産師としては異色の精神科に転職したのでした。

 

 

精神科で勤め始めて3ヶ月ちょっと経った頃、同級生の集まるイベントで阿佐ヶ谷にあるぺーたーずという店を訪れました。

そこで出会った皆んながあまりにも楽しそうに仕事して、生き生きとしていて、その姿にとてつもなく刺激を受けました。

 

私は、私の人生を心から楽しみたい。

皆んなとの出会いからそんな気持ちがどんどん大きくなりました。

 

そしてその翌月には、ぺーたーずの運営メンバーになりました。

 

また同じ頃元相方の星乃さんから声をかけてもらって、同級生のピン芸人しんぷる内藤くんも加えた3人でトークユニット一軍の集いを結成。

同じ場所で思春期を過ごした仲間。

 

それぞれが違う場所で頑張っている今、時々顔を合わせては真面目な仕事の相談をしたり、くだらない馬鹿話で笑ったり。

そんな風に切磋琢磨できる存在があることに、日々支えられています。

 

 

精神科病棟で勤め始めて1年が経ったころ、病棟の上司に「病棟の患者さんに性教育をする機会がほしい」と伝えました。

せっかくの入院という機会に、自分と向き合うひとつの手段として性の正しい知識を身につけてほしい、そんな願いがありました。

 

有難いことに申し出をこころよく受け入れていただき、2018年春よりSRE(Sex and Relationships Education)プログラムという

性と人間関係についての教育プログラムを開始しました。

まだまだ試行錯誤の段階ですが、患者さんから「こういう話をできる場ってないから嬉しい」という声をいただいたりもして、やりがいを感じています。

 

性教育の講師の仕事も、有難いことに徐々に活動の規模が広がってきました。

 

学校だけにとどまらず、不登校の子どもたちの通うフリースクール、地域で子育て中のママが主催してくださるお話し会、同年代を対象にした性を語る飲み会、など多くの場で講師としてお話をさせていただいています。

 

これまでのたくさんの経験を糧に、これからも多くの方の生きづらさを取り除けるような活動を続けていきたいと思っています。

 

 

大切にしたいこと

昔は愛情をもらうのが、すごく下手でした。

 

本当はたくさんの人に大切にしてもらってるのに

 

「そんな風に言ったって本当は…」

「私なんかどうせ…」

 

と口ぐせのように言いながら、その愛情をちっとも受け取ろうとしてこなかった。

 

でも今こうして多くの人と出会って、温かい言葉をいっぱいかけてもらったことで、これまで貰ってきたいくつもの愛情にも気づくことができました。

 

みんなのおかげで、生きてこられた。

 

その感謝を忘れずに、今度は私が大きな愛情を、大切な人達にそそいで生きていきたいと思っています。

 

「笑顔をつくる仕事がしたい」

 

これから一生かけて叶えたい、私の夢です。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!

 

私という人間にご興味もっていただけましたら、ぜひ他の記事やTwitterなどの活動もご覧いただけると嬉しいです。

イベントや講演活動も日々行っていますので、ぜひ遊びにいらしてください!

 

 

シオリーヌの活動紹介!性を語る、おしゃべり助産師

皆さんこんにちは。助産師 シオリーヌこと、大貫詩織です。

普段いろんなことをやりすぎて「シオリーヌって何屋さんなの・・・?」と言われることが多いので、助産師・性教育講師などなど様々な活動をしている私のお仕事をまとめてみました!

これを読めば、シオリーヌが何をしている人なのか全てわかる!

ぜひ最後まで目を通していただけると嬉しいです。

シオリーヌってどんな人?

助産師&性教育YouTuber。1991年生まれ。神奈川県出身。

持ってる資格は助産師、看護師、保健師。あと思春期保健相談士と受胎調節実地指導員。(長い)

特技はおしゃべり、趣味は歌うこと、食べること。

自他ともに認めるクソ真面目な性格。

▼生い立ちや黒歴史満載の詳しい自己紹介はこちらから!

シオリーヌの生い立ち全公開!詳細プロフィール

活動内容

現在の活動内容をまとめました。

●助産師・性教育講師

助産師として、全国の小中学校やフリースクール、地域のイベントなどで性と命に関する講演をしています。

お話する内容は妊娠出産の基礎知識から性感染症、デートDVやパートナーシップについてなど。

子どもたちが「知らなかったから」という理由で傷つくことのないように正しい知識を伝え、困った時に相談できるスキルを身につけられるようにお話しています。

また保護者や教員など子どもたちを支援する側の大人に向けて、子どもたちの性の実情や性教育の方法をお伝えするセミナーも実施しています。

講義の形式も大人数の授業形式から少人数のワークショップ形式まで、数多く経験しておりますので、ご希望の方は遠慮なくお問い合わせください!

●性教育Youtuber

2019年から、性教育Youtuberとして動画での発信を始めました。

・性の話をきちんと学びたい中高生

・妊娠出産が自分ごとになる大人世代

・お子さんに性教育を伝えたい保護者世代

こういった皆さんに、正しい知識を楽しくオープンにお伝えしています。

ご質問やあつかってほしいテーマのご希望など随時受付中ですので、お気軽に!

▼▼チャンネル登録お願いします!▼▼

●オンラインサロン「yottoko labo」

2019年3月より、オンラインサロンの運営を開始いたしました!

一度きりの講演だけで得られない、双方向に学びあうコミュニティを作りたい。

そんな思いから開設したこちらのサロン。

会員限定イベントやオンラインでのディスカッションなどを通じて、性の学び方・伝え方を習得していただけるような空間づくりをしています。

ぜひ多くの方に、仲間に加わっていただけたら嬉しいです!

▼サロンの詳細はこちら

シオリーヌのオンラインサロン「yottoko labo」会員特典と入会方法

●ライター

幼少期からの作文好きが実をむすび、物書きの仕事もしております。

性教育の情報提供や専門機関へのインタビュー記事、単なるエッセイまでさまざまなジャンルに取り組んでいます。

寄稿のご依頼、お待ちしております!

▼友達のブログに書かせていただいた記事

以上、私の現在の活動内容でした!!

いろいろ多方面に活動していますが、共通している思いは「笑顔をつくる仕事がしたい」ということ。

そのためにこれからも全力で活動し続けていきます!

●これからやりたいこと

今後の目標は「性教育を継続的に行える環境」と「居場所のない若者を自立するまで見守れる居場所」をつくること。

今の日本での性教育は「性感染症」や「避妊」などのトピックスを単発にあつかうばかりで、なかなか段階的に時間をかけて学ぶことが難しい環境にあります。

子どもたちが幼少期から思春期まで、継続的・段階的に性教育を学ぶことのできる環境を作りたい。

そして何かに行き詰まった時、気軽に相談に来られるような居場所を作りたい。

そんな思いを胸に活動を続けています。

応援、ご協力いただけますと幸いです!

お問い合わせ

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

皆さんの生活に笑顔をふやすためこれからも活動しつづけてまいりますので、よろしくお願いします!

この記事を読んで、シオリーヌに講演してほしい、記事書いてほしい、などご興味もっていただいた方は、ぜひお問い合わせフォームからお問い合わせください。

皆さんとお会いできる日を、心待ちにしております!